突然ですが、きょうだい児という言葉をご存知ですか?
きょうだい児とは、障害をもった子どもの兄弟姉妹のことを言います。
そういうわたしも知的障害をもった2歳年下の弟がいるため、このきょうだい児というものに該当します。
それはさておき、やはり障害者の家族をもつと、多かれ少なかれほかの家庭とは違う経験をして育ってきています。
小さいときは「なんでうちはよその家と違うんだろう…」と思って、周りの友達のことを羨ましく感じたことがたくさんありました。
また両親は両親で、そんなわたしへの接し方に悩んだこともあったのではないかと思います。
現に、わたしが大人になってから母にもらった手紙には、「2人に対して平等にとは思っていても、どうしても障害のある弟に手がかかってしまった。そのことを申し訳なく思っている」というようなことが書かれていました。
今現在、障害のある子とその兄弟を育てているパパママの中には、当時のうちの母親と同じような想いを抱いている方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
でも、本人に向かって実際の気持ちや日頃感じていることを聞くのってなかなか勇気がいりますよね。
そこでこの記事では、きょうだい児のわたしが感じていた当時の思いや、自分が母親になって思うことなどを綴っていきたいと思っています。
Contents
きょうだい児で嫌だったこと
わたしの場合、きょうだい児だからと言ってめちゃくちゃ辛い過去があるとか、とても悲しい思いをしてきたとかいうわけではないんです。
両親がとても愛情を持って育ててくれたということを実感していますし、周りの人にも恵まれたために弟のことで思い悩んだという経験はあまりありません。
本当にありがたい話です。
でもやはり、綺麗事では片付けられない気持ちを抱えて育ってきた部分はあります。
いきなりネガティブな話題で申し訳ないのですが、まずはきょうだい児で嫌だったことについていくつか書いてみたいと思います。
よその家と違う
冒頭にも書きましたが、よその家と違うというのは子ども心にとても嫌だったことを覚えています。
具体的にどんなことかと言うと、
- 家族で外食をしたり遊園地に行ったりすることが極端に少ない
- 姉弟げんかをしたことがない
- 2歳差なのに同じ学校に弟がいない
などなど…。
あとは、友達を家に泊めるのは禁止などもありました。弟のことがあるので母が気を遣っていたんですね。
こんな環境で生活しているとどうなるかと言うと、友達と話が合わないという事態が発生するんですね。
たとえば最初の「家族で外食をしたり遊園地に行ったりすることが極端に少ない」というものだと、週明けに学校にいったときに友達に話せるネタがない。
みんなは家族でお出掛けをした話をしているのに、うちはずっと家。出掛けたとしても母と近所のスーパーくらい。
あとで書きますが、うちの両親はわたしのことも気遣って、よくわたし1人を外に連れ出してくれていました。
ちょっと遠出のお出掛けにも連れて行ってくれたことがたくさんあります。
ですが、幼いころのわたしにとっては「よその家と同じにしたい」という想いが強く、「家族みんなで」というところにこだわりを持っていました。
なんでも弟が優先
障害のあるお子さんをお持ちの方ならわかると思うのですが、家族全体の動きがどうしてもその子中心になってしまうんですよね。
今なら当たり前に受け止められることですが、小さいときは不満でいっぱいでした。
たとえばジュースやお菓子を買うのも、弟が欲しがったタイミング、欲しがった場所で。
わたしはそのおこぼれに預かるみたいな感じです。
出掛ける先も弟の調子が優先。わたしが「ここに行きたい」と言っても、弟の調子が悪ければ出掛けることはできません。
挙句の果てに、弟がわたしの持ち物を壊したとしても、「触られるところに置いている方が悪い」というのが我が家のルールでした。
母の機嫌が悪くなる
何より嫌だったのは、弟のことで母の機嫌が悪くなったり、辛い思いをしている姿を見たりしたときでした。
もちろん母も極力わたしにはそんな姿は見せないようにと頑張ってくれていたとは思うんですが、やはり限界があったんだと思います。
専業主婦で実家も遠方の母、気軽に相談できる人が近くにおらず必死に子育てをしていたんじゃないでしょうか。
そんななかでどうしても機嫌が悪くなり、態度に出てしまう。
そういうときは悲しいかな、わたしに対する当たりがいつもより強くなることをわかっていたので、母とは少し距離を置くようにしていました。
無意識のうちに自己防衛していたんでしょうね。
両親からしてもらって嬉しかったこと
こんな家庭環境で育ってきましたが、嫌なことばかりではありませんでした。
さきほども書いたように、わたしは両親からとても愛情を受けて育ったという自覚があります。
きょうだい児という少し特殊な環境で育ちましたが、両親は弟のせいでわたしが寂しい思いや悲しい思いをしないように、2人とも平等にという気持ちでわたしたちを育ててくれました。
ここでは、両親にしてもらって嬉しかったことについていくつかお話をしたいと思います。
大変な中でもわたしのことを気にしてくれていた
繰り返しになりますが、両親は弟に手を取られながらも、わたしとも一生懸命に向き合ってくれていました。
その中でも特に思い出に残っていること。
小学3年生くらいのとき、わたしがテレビに映った東京の映像を見ながらふと「ここに行きたいな」と言ったのを父が聞いていて、次の日に東京行の飛行機チケットを買ってきてくれたことがありました。
せがんだわけでもなく本当にただポロっと言っただけなのに、気づいてくれたのがとても嬉しかったことを覚えています。
母はどうしても弟に手を取られがちなので、その分を父がフォローしてくれていたんだなと大人になってから理解し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
わたしのことを「希望の光」だと言ってくれた
自分で言うのも恥ずかしいのですが、母は昔からたまに「あなたは我が家の希望の光だからね」と言ってくれることがありました。
もちろん2人とも可愛い子どもだけれども、やっぱり弟のことでは心が折れてしまうこともたくさんあったんだと思います。
当時、母が書いていたブログをこっそり覗き見たことがありました。
下の子のことでイライラしていたけれど、上の子が明るくいてくれることに感謝している。
こんな意味のことが書かれていたのを覚えています。
これを見て、いつもは弟にかかりっきりの両親もわたしのことを大切に思ってくれているんだなということを知り、とても嬉しく思いました。
同時に、家族のためにもしっかりしないとなと感じました。
きょうだい児の子に期待をかけすぎることは裏目に出る場合もあるかもしれませんが、「あなたのことも大切だよ、きちんと見ているよ」ということを伝えてあげるのは大事なことなのではないでしょうか。
自分が母親になって思うこと
最近わたしにも子どもが生まれ、母親になりました。
大人になるにつれて当時の両親の想いが段々とわかるようになっていましたが、自分が母親になるとより一層その気持ちが強くなっています。
ただでさえ大変な子育ての中、弟に障害があるとわかったときの両親の気持ちを思うと、とても胸が締め付けられます。
とまどいや悲しみ、不安、葛藤…そこから障害を受け入れるまで。
もし自分だったらと思うと、正直すぐには受け止められる自信がありません。
きっとわたしへの接し方もたくさん悩み、自己嫌悪に陥ったことも幾度かあったと思います。
もし当時の両親に言えることがあるとすれば、こう伝えたいなと思います。
今0歳児を1人育てるだけでも精一杯なわたしからすれば、大変な中子ども2人を育てあげた両親は本当にすごいと思いますし、心から尊敬しています。
まとめ
この記事では、きょうだい児のわたしが思う本音について書きました。
障害児をもつパパママは、どうしても障害のある子に手をとられてしまい、他の子にまで気が回らないことも出てきてしまうのではないかと思います。
「障害のある子だけでも大変なんだから、あなたくらいは言うこと聞いて!」って思ってしまうこともあるんじゃないでしょうか。
わたしはそれは当然の感情だと思います。
どんなに綺麗事を言っても、現実問題として起こりうることです。
後ろめたい気持ちを感じたり、自己嫌悪に陥ることはありません。
今は幼いために両親の気持ちが理解できなくても、きっと大人になればわかってくれるときがやってきます。
この記事が少しでも、障害のあるお子さんをもつパパママの参考になれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。