こんにちは、なかたにです。
わたしは第一子妊娠中、切迫早産になり2ヶ月間の入院生活を送りました。
無事に出産した今となっては良い思い出なのですが、入院している最中は不安で不安でたまらない日々を過ごしていました。
インターネットで「切迫早産 入院」「切迫早産 退院 いつ」「切迫早産 目標」など検索しまくっては情報を仕入れる毎日。
その中でも一番探したのが、“自分と同じくらい(または少ない)週数で切迫早産になっても無事に出産した人の話”でした。少しでも安心材料が欲しかったんですよね。
なので、今回は同じように切迫早産になってこれからを不安に思っている妊婦さんに、少しでも安心してもらいたいという思いでこの記事を書きました。
最初にお断りしておくと、わたしには専門的な知識は皆無なので、この記事でもそういったお話はできません。単純に「不安に思わなくても大丈夫、こんな状態でも無事に出産できた経験者がいるよ」ということを伝えたいと思っています。
Contents
まったく自覚症状がなかった切迫早産
わたしが切迫早産と診断されて入院したのは妊娠27週目の半ばでした。
普段どおり妊婦検診に行ったときのことです。いつもなら「はい、異常なし」で終わる経膣エコーが全然終わらない。焦った様子の先生。
何かあったのかなぁと思っていると、先生から衝撃の一言。
「子宮頚管長がない」
言われている意味がわからなかったです。子宮頚管長ってなくなるものなの?って(笑)
前回の検診では全く問題もなく、切迫早産の症状と言われる出血やお腹の張りもありませんでした。
ただ、先生の様子から只事ではないんだなということだけはわかります。
そのときはもう夜だったので、紹介状を書いてもらって翌朝に大きな病院へ行くことになりました。
このときの診断は「子宮頚管無力症の疑い」でした。その日の夜は何もすることもできず、ただただ不安だったことを覚えています。
子宮頚管長は0ミリ、しかも逆子
地域で一番大きな病院の産婦人科で診てもらった結果、「切迫早産」という診断。
お医者さんには「子宮頚管長は0センチ。赤ちゃんを包んでいる膜が少し見えている」と言われました。
そう、わたしは切迫早産の中でもだいぶ危ない状態で、今すぐ赤ちゃんが出てきてしまってもおかしくないところまできていたんです。
しかもそのとき逆子だった我が子。もう大変なことだらけ。
診察が終わるとそのまま入院手続きを行い、あっという間にわたしは点滴を打たれてベッドに横になりました。その合間にお医者さんからの説明。今後の治療方針や退院の目途、もし陣痛が来た場合は逆子なので帝王切開になる可能性…。慣れない点滴でぼんやりする頭で必死に聞いたことを覚えています。
27~28週:不安ばかりの毎日
わたしが入院したのは妊娠27週の半ばだったんですが、実はこの27週と28週って切迫早産の人にとって大きな違いがあるんです。
詳しい説明は省きますが、切迫早産になると目標にする週数がいくつかあって、そのうちの最初の目標が「妊娠28週」なんですね。
だから入院した日にお医者さんから「まずは28週を目指しましょう」と言われていました。
これつまり、わたしの状態があと数日ももたない可能性が高いって言われていたようなものなんですよね。
最初の数日間は本当に辛くて、毎日布団の中で泣いていました。
当時の日記にはこんなことを書いています。
点滴やら注射やらされてめっちゃしんどい…。
とりあえず28週、そのあとは30週…とちょっとずつ赤ちゃんがお腹の中にいる時間を延ばしていくしかないみたい。大丈夫かな。
まだまだ一緒にいようね。元気に生まれてきてね。
このときは本当に、「お願いだから少しでもお腹の中にいて」という思いでいっぱいでした。
29~30週:入院生活にも慣れてきた
28週を無事に超えると、次の目標は30週です。
このあたりになると入院生活も2週間を超えて徐々に慣れてきました。
相変わらず子宮頚管はほぼないですが、逆子はこの頃にはなおっていました。
インターネットで「お腹の下のほうをつんつんして『ここが頭だよ~』って教えてあげたらいい」みたいなことを見て、実践したらくるっと回転してくれたみたいです(笑)
根拠はわからないですが、もしよければお試しください。
逆子ではなくなったこと、赤ちゃんも大きくなってきたので陣痛がこない限りは勝手に滑り出てきてしまう危険はなくなり、少し安心したのがこの頃です。
31~33週:希望が見えてきたころ
30週の次の目標を34週としているところも多いのですが、わたしはインターネットで調べて32週を次の目標とすることにしました。小さい目標を一つずつクリアしていく方が前向きになれると思ったからです。
そしてこの頃になると、「もしかしたら36週までもてるかもしれない」という希望が見えてきました。
相変わらず子宮頚管長はありませんが、そこから進むことはなかったですし、お腹の張りもほとんどなく平和に過ごせていたからです。
ただ、まだ油断はできない状況に変わりはなかったので、あまり期待はしすぎずにただ自分ができることをして過ごすようにしていました。
34~35週:退院に向けてラストスパート
34~35週になれば赤ちゃんの呼吸機能も完成されて、生まれてきた場合の後遺症のリスクもだいぶ少なくなると言われていました。
34週を迎えられたときは本当に嬉しかったです。
そしてこの頃になると、いよいよ退院の話が出てきました。
わたしが入院していた病院は36週0日で退院するのが通例だったんですが、担当の先生が「なかたにさんは入院も長いし、35週0日以降であればいつでも退院していいよ」と言ってくださったんです。
これにはすごく悩みました。
赤ちゃんのことを考えると当然ギリギリまで入院していた方がいい、でも退院できるなら早く退院して家に帰りたい…
間を取って35週半ばで退院するか?とかも思いましたが、よーく冷静に考えて、せっかくここまで頑張ったんだから最後までやり抜こう!と思い、36週0日で退院させてもらうことにしました。
正直、退院が見えてきた34週くらいが一番早く家に帰りたかったピークの時期で、入院してすぐの時の次に、この頃が辛かった時期だなと思います。
35週6日:いよいよ迎えた退院
そして退院の日。2ヶ月ぶりに病院の外に出たわたしは、嬉しすぎて号泣しました。
ここまで無事に乗り越えられた嬉しさと、入院生活から解放された嬉しさと、いろんなものが入り混じった感情だったんだと思います。
その日はずっと行きたかったお店にご飯を食べに行き、家に帰りました。
家での生活がこんなに有難いものだと思ったのは初めてでした。
その後の自宅での生活は、はじめの方は「もう生まれるんじゃないか…」と思って急いで出産準備を整えたりドキドキしたりしていたんですが、意外と生まれることもなく。
結局出産したのは退院してから3週間後でした。
しかも、これはまた別記事にするかもしれませんが、出産のときはなかなか子宮口が開かず苦労したというエピソードもあります。
切迫早産で今にも生まれるかも、と不安に過ごしていた日々は一体っていう…(笑)
でもこれ、切迫早産あるあるだそうです。切迫早産だったからといってスピード出産になるわけではないらしいですね。
まとめ
今回、冒頭でも書いたように、自分と同じように切迫早産で不安に思っている方々に少しでも安心材料を届けられたらという思いで、わたしの経験を記事にしました。
今、切迫早産と診断されている方は不安でいっぱいだと思います。
でも、その日々には必ず終わりはやってきます。
100%大丈夫とは残念ながら言えませんが、わたしを含め、たくさんの方が切迫早産と診断されても無事に出産することができています。
この記事が少しでも、みなさんを勇気づけることができたら幸いです。



